Tanti Anni Prima

雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 33】ブレインフォグから抜け出すために | 「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

 ブレインフォグという言葉がある。これは文字通り脳に霧がかかったようにモヤモヤとした状態のことを指す。そのことにより、何年もスッキリしない状態であったり、集中するべき時に思ったように集中できなくなる。いつからかは分からないが、自分は所謂このブレインフォグ状態に陥っているのではないかと自覚しはじめたのが最近である。寝ても覚めても完璧に晴れたような気分にならないし、ネガティブな記憶の断片が頭の片隅にいることが日常茶飯事になっていしまっているのだ。そういう悩みを持つ自分にとって、本書のタイトルは実に惹かれるものがあった。ゴリゴリの医学的な内容というよりは若干スピリチュアルな自己啓発寄りな本書。それでも自分のようなタイトル通りの悩みを持つ人にとっては、かなり有意義な内容になっているのではないだろうか。

読んだ本

・タイトル:「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める
・著者:苫米地英人

感想云々

 頭のゴミを捨てるにはどうしたらいいか。ズバリそれは、「思考の抽象度を上げる」というもの。何かが起こって自身が「嬉しい」とか「悲しい」とか感じるのは、人間の単なる生理反応である。生理反応だから、「暑いから汗をかく」と同じレベルのできごとである。汗をかくことで悩む人はいないだろう。ところがこれが感情の話になった瞬間に人々はたやすく振り回され、悩んでしまうのである。こういう人を「抽象度が低い」という。多くの人は目先の情報に追われ、整理することなく生きているのである。
 では抽象度を上げるにはどうしたらいいのか。それは「ゴール」を持つことである。ゴールというのは、自分が心から実現したいことである。そのゴールさえ明確に持っていれば、たとえ感情を乱されるような出来事があったとしても、本来の芯がブレることはないのだ。なぜなら、ゴールに関係がない感情というのは、全て「ゴミ」だからだ。ゴールのみを見据えて、他は関係ないゴミだと捉える。それが本書のメッセージだ。ちなみに一見必要そうに見える「楽しい」「嬉しい」「幸せ」などの感情だって例外ではない。もしもそれらの感情がゴールに関係ないのであれば、それらもゴミになり得る。感情は自身を振り回すものではなく、むしろ娯楽と捉えてしまう。そうして意味のない感情に振り回されることがなくなるのだ。
 この「抽象度を上げる」というテーマだが、頭では理解ができても、個人的には非常に難易度の高いことだと感じた。まるで禅の精神を会得しろと言っているようなものだと思ったからだ。本書に限らずなのだが、ビジネス書の中には「それができたら苦労しないよ...」という内容が結構ある。かつ、ビジネス書を読んでただ「分かった気になる」状態になるのが大変危険であることも重々承知している。だがそんなことよりも、自分の悩みに気がついていながらそれを放置してしまうのが一番ギルティなことだと考えている。そういう意味では本書のような内容を読んでたとえ「分かった気になる」状態に留まっていようと、一度マインドセットをするというのは意外と大事なことなのかも知れない。
 また「抽象度を上げてその他は『ゴミ』と捉える」ということについて、自分は少し落とし穴がないだろうかと考える。それはゴミの対象となるようなストレスや悩みの絶対量は、決して自身から減ってはいない可能性があるということだ。本書のような「大事なこと以外をゴミ」と捉える他の手法として、リフレーミングがあると思っている。リフレーミングとは、物事の枠組みを変え、違う視点から見ることを意味する。例えば明らかに面倒な仕事を渡された時に、ただ面倒と思うのではなく「これは自分を成長させてくれるいいきっかけになるかもしれない」と考え直すことで、モチベーションを上げるのである。このリフレーミングという手法は、他のストレスの発散法に比べて他人にも迷惑をかけず、自己完結できる便利な方法である。そのため自分もこのリフレーミングを多用していた。ところが、これには前述のような落とし穴があるのだ。リフレーミングをすることでストレスが無くなったように見えて、実は元のストレスに対して見てみぬフリをしているだけである。そのためストレス・悩みの根本が消えたわけではないのだ。そしてそういうストレスに対するキャパシティも、個人には限界があると思っている。見てみぬフリをしていつのまにかストレスのタンクが満タンになると、それ以上のストレスを受けた時に決壊するのだ。これは自分の実体験があった。自分の中にある感情や思ったことを直接口に出すことができない自分は、いつしかこのリフレーミングに頼りっぱなしになっていた。それで最初は上手くいっていたものの、リフレーミングを続けていると、いつしかどうやっても気分が晴れなくなっていた。それをさらに続けていた当時ついにキャパシティも限界となり、いつの間にか抜け殻のような状態になっていた。「悲しい」「辛い」という感情に包まれるわけでもない。身体中の全てのセンサーがストップして、機能しなくなったような感覚に陥るのだ。今思えば、それはリフレーミングによって根本的に解消すべきストレス・悩みを無視し続けたことが原因だったのかもしれない。本書で登場する「抽象度を上げる」という思考法が、自分が体験したようなリフレーミングと同じような危険性をはらんでいないだろうか。そんな考えが頭をよぎるのである(これもゴミとすべきなのかも知れない)

終わりに

 本書でも語られているのだが、冒頭のような悩みを抱える人は悩んでいる間、結構ひとりよがりになってしまっていることが多い。だが本書の言葉を借りれば、幸せであることを求める際に自分だけの幸せはありえないのだ。もし自身の悩みで行き詰まっていることがあれば、周りを遠慮なく巻き込んで、視点を外部に置いてみるのもいいのかも知れない。


それでは。