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雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 22】弱い自分を認めること | 自分の中に毒を持て

 岡本太郎氏は、大阪万博のシンボルとして有名な太陽の塔の制作者であり、「芸術は爆発だ」という名言を残した人物として有名である。しかし自分の中ではその2つの情報のインパクトが強すぎて、岡本太郎氏本人についてあまり深掘りしたことがない。当然、本人のもつ倫理感についても触れる機会がなかった。彼の本業は芸術家なんだし、本書を手に取るまでは正直出版した書籍なんてごくわずかだろうという先入観があった。ところが調べてみると、信じられないほどの著書があることに気づく。そして、数ある著書の中でも、本書は彼の代表作というべきものだろう。芸術家にとどまらない、人間としての彼の魅力を知るいい機会になった。

読んだ本

・タイトル:自分の中に毒を持て
・著者:岡本太郎

感想云々

 本書での彼の主張のひとつとして、「もし人生の選択に迷ったら、ダメになる方、マイナスの方の道を選べ」というものがある。自分はこのメッセージを見た時に真っ先に思い出したのは、渋沢財閥の「ニコ没」という精神である。ニコ没とは、「ニコニコしながら没落していく」という言葉を縮めた、渋沢財閥のトップ達による造語である。この考えが最近になって広まってきたのは、成田悠輔氏がバンタンの卒業式でのスピーチで引き合いに出したことが理由として大きいだろう。
 ニコ没の精神というのは、ざっくり言うと「自分たちが積み上げてきた功績を、あえて自分達の手で破壊してしまおう」というものである。第二次世界大戦後、GHQは当時日本経済を牛耳っていた財閥を解体する国際政治方針を見せた。当然、渋沢財閥もその対象であったはずである。その際GHQは渋沢財閥に対して、当時の事情もあって「お前たちだけは財閥解体を免除してやってもいいぞ。」と持ちかけたのである。しかしそんな提案に対して当時の渋沢財閥が選択したのは、なんと財閥解体の免除を拒否するというものだった。日本という国家を新しいステージに持っていくために、自らの手で財閥を解体してしまったのである。その時の合言葉というのが他でもない「ニコニコしながら没落しよう」というものであった。人間は一度安定を手に入れてしまうと、その次のステップに踏み出す活力というのは中々生まれてこなくなるものである。物事が上手くいけばいくほど、それに合わせて腰が重くなってしまうものだ。そんな状態になってしまった時に自分自身をステップアップさせるのは、さらなる成功体験ではないのかも知れない。むしろ自分自身を貶めてみたり、絶対に失敗すると分かっていても、とりあえず片足を突っ込んでみる。そういった自らを破壊させる行為が必要になってくるかも知れないのだ。岡本太郎は、そんなニコ没とも言いかえることのできるスピリットを持っているように思えた。
 そんな半ば捨て身とも言えそうな生き方に納得して「では明日からそうしよう」と切り替えるのは容易ではなさそうである。本書でも少し語られていたが、現代では「何をしたらいいのか分からない」「自分に自信がない」といった悩みを持つ人間が急増している。オルデガが100年も前に注意喚起をしていたり、ニーチェが「末人」と呼んで危惧していた人々が、至るところで発生しているのだ。そんな虚ろな状態に陥ってしまうと、前述のようなポジティブなニコ没に踏み切るのは、より難しくなってしまうだろう。人々がこういうニヒリズム的な考えに陥る原因は、哲学者が各々の主張をしているように、諸説ありそうである。だが自分は身の回りで考えてみると、大きく2つの原因があると思っている。ひとつは、他人と比較してしまうこと。もうひとつは、(本書でも語られていたが)弱い自分を認めないことだ
 他の記事でも書いたのだが、「あやうく一生懸命生きることだった」の著者ハ・ワン氏は自身の著書の中で「最も簡単に不幸になる方法は人と比較することだ。」と述べている。人間の性かも知れないのだが、本来どうやったって比較しようもないのに、他人と自分との共通項を見出しては尽く優劣をつけてしまう。そして自分と同等か、自分より劣っているとみなしていた人間よりも劣っていると知るやいなや、超どうでもいい「嫉妬」という感情まで芽生えてくる。資本主義社会というのも相まって、本来ありえないはずの他人との競争が、ニヒリズムを激化させているように思えるのだ。
 そして、そんな「他人とどうしても比較してしまう」という悩みに必ずついて来るのが、自分の理想と現実とのギャップである。「自分は本来はこんなところでくすぶっているはずじゃないのに...」「自分にはもっとスキル・実力があるはずなのに...」という思いは、他人との比較をより加速させることになると思うのだ。そんな虚ろな人間に対し、岡本太郎氏は「自分はそういう人間だ。ダメなんだ、と平気でストレートに認めること。」と提案している。自分はそんな気の弱いことでどうするんだ___とクヨクヨするのではない。むしろ自分は気が弱いんだと思って、強くなろうとジタバタしないことが大事だと主張しているのだ。諦めるのではなく、そういうものだと思ってしまう。そうすれば、自分が積極的になれるものが出てくるかも知れない。言われてみれば単純なことかも知れないが、意外にこのギャップを埋められている人間は多くない。自分の弱さを認めてしまうこと。それがニコ没という捨て身の精神に踏み切るための第一歩だと思うのだ。

終わりに

 「芸術は爆発だ」という名言は我々が思っている芸術のことではなく、もっとマクロな「生きること」に対する信念である。これから大きな分岐点に立たされた時に、あえて負の方向に飛び込んでみる。後に笑い話として振り返ることができるのならば、一度や二度くらいそんな捨て身をしてみるのも悪くはないと思うのだ。


それでは。