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雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 30】財前派?or里見派? | 白い巨塔

 自分は医療のヒューマンドラマが描かれた作品を好んで読むが、白い巨塔ほど読み返している作品はない。最初に本作品を知ったのは唐沢寿明版のドラマをテレビで見た時だった。当初は「こんなドロドロした世界が存在するのか」と子供ながらにドラマを見ていたものだが、今では教授戦をおかずに白米が食べられる程度には好んでヘビロテしている。(別に本作品に限ったことではないのだろうが)時を経て繰り返し読んでいると、当初自分が持っていた感想が徐々に変化していることに気づく面白い作品である。

読んだ本

・タイトル:白い巨塔
・著者:山崎豊子

感想云々

 本書では主人公の財前と、同期の里見という2人にフォーカスして物語が展開されている。この2人は同期の医者ではあるが、作中で人間像を含め結構両極端な書かれ方をしている。そのため、本書を読んだ人は自ずと「財前派」か「里見派」に分かれるのである。ただ、作中でいずれの人間を支持するのかを考えるためには、まずは両者のスペックを知らねばなるまい。下記、両者についての簡単な情報である。

■財前吾郎(主人公)
・所属:
浪速大学医学部付属病院(第一外科)

・ポジション:
教授(作中で教授戦を勝ち抜いて昇格)

・本書での人間像(自分なりの解釈):
 いわゆる天才タイプ。元々ポテンシャルがあった者がさらに努力して手のつけられないレベルにまでなった完全無欠状態。ただし、その実力と比例するように野心も非常に強い。学問の追求よりも富・名声・力。自分の名声のためならば他者を切ったり、権力が上のものに媚び諂うことを厭わない。

・後輩からの評価
 超良い。というか、財前は後輩に良い影響を与えることが今後の自分の為になると頭で分かっている。その上で、面倒見が良いと思われるように立ち振る舞っている(内心部下のことを小馬鹿にする描写が若干ある)

・財前の上司:
 基本的に優しい。が、財前の腕が凄すぎ&名声への貪欲さを近くで感じ、あまり財前のことを快く思っていない(ぶっちゃけ嫉妬)。自分自身は医学以外のことは不得手なので根回しとかは出来ないが、その勤勉さにより周りからの信頼は厚い。

■里見脩二
・所属:
浪速大学医学部付属病院(第一内科)

・ポジション:
助教授(財前とは同期)

・本書での人間像(自分なりの解釈):
 医学という学問に対して確固たる信念を持っており、派閥や権力といった話が大嫌い(出世にも興味ない)。患者のことを第一優先で考えている。自分が一度こうだと思ったら、それを達成するまでは他者に耳を貸さない。

・後輩からの評価
 良い。が、後輩目線でも愚直過ぎるあまり要領の悪さが若干目立つ。ただし時間がかかってもきっちりと成果を出すため、信頼は厚い(「凄いとは思うが、なりたいとは思わない」というやつ)。

・里見の上司:
 医学部長という、医局をまとめる超偉い立場。名声に関する貪欲さは財前の上位互換のような存在。そのため、部下の里見をちゃんと育てようとかはあまり深く考えていない。が、自分の立場が脅かされそうになる時だけめちゃめちゃ厳しくなる。


 さて以上を踏まえ、財前と里見、どちらが良いと思うだろうか?
ちなみにかつて自分は断然里見派だった。医学という学問に対して真摯な姿勢で取り組み、常に患者の事を考えて行動する姿が格好良く見えたからである(実際、医者としての理想のあり方なのだろうと思う)。対して、財前の常に利己的な立ち振舞いに嫌悪感も持っていた。事実、作中では財前が患者の対応を蔑ろにしたことも手伝って、自分が執刀した患者をひとり死なせてしまうのだ(その後、遺族側から裁判を起こされてしまう)。そんなエピソードもあり、かつては財前を圧倒的な悪者として認識していたものだった。しかし歳を取って作品を何周もしていると、実は自分のこの考え方が変わってきていることに気づく。昔アメトークかなんかで「スネ夫憎めない芸人」をやっていたと思うが、あれと同じような感覚だ。財前のことが、徐々に憎めない存在になってくるのである。そもそも財前はかなりの叩き上げである。超絶貧乏で生活が苦しい家庭から自力で医学部に入り、研修医になってからも血のにじむような努力をした描写がある(出世してからも常に実家に仕送りも忘れない)。そして医局時代も上司による長年に渡る押さえつけを経験している。そういうかつて不自由な環境にいた経歴を考えると、財前のような人格が出来上がったのは半ば自然であり、「野心を持つことはそんなに悪いことだろうか?」という考えが芽生えてくるのである。事実、野心なしではここまでの技術・功績を残すことは不可能だっただろう。一方で、里見のことを嫌いになったわけでもない。やはり人間としての誠実さという面では、里見の方が魅力的である。しかし眼の前のことだけで、向上心も将来のビジョンも完全にない状態というのは、果たして傍からみて魅力的だと思えるだろうか。上司としてついていきたいと思うだろうか。当時は里見の誠実さに心を打たれていたが、すべてが完璧な人間などいないということを考えさせられた。また前述したが、里見は一度こうだと思ったら周りの意見を聞かず、達成するまで貫き通す人間である。これだけ聞くと、信念を曲げない素晴らしい生き方だと思えるだろう。しかし組織で見るとどうだろうか?周りがすでに共通合意している中で、里見のような石頭がずっと自分の考えに固執し続けていたら.....。基本的には正しい判断を下していると思われる里見であるが、時には厄介な存在にもなり得ると考えてしまったのである(こう考えるということは、自分も大分歳を取った...)。
 医者というのはつくづく凄い職業で、今でも雲の上のような存在だと感じる。本書には財前の「読影は科学ではなく芸術」という言い回しが出てくるが、これは当時の医学界を実によく言い表していると思う(日経新聞の春秋においても抜粋されている)。現在は技術も進歩し、目視に加えてAIをセカンドオピニオンとして用いるところも増えてきた。そうした機械の技術の進歩も凄いが、限られた情報で癌を見抜いていた人間の洞察力も素晴らしいと感じるのだ。それと同時に、本書に出てくるような医学界のドロドロした世界を見せられると、やはり医者も一人の人間なのだな、と思う。それを特に感じたのは最終巻だ。それまで人間の技術の凄さ・誠実さ・傲慢さなどが描かれていたのに対し、最終巻では人間としての脆さが色濃く映っていた。医者としての富と権力を手に入れて栄華を極めていた財前が、あっという間に衰えていく描写は、読んでいて正直心が痛んだ。とはいえ明日は我が身で、自分の命はいつ終わるかなんて分からない。そう考えると、今のように慎ましく、コツコツと生きてしまっていいのかな?などと考えてしまうのである。

終わりに

 山崎豊子氏の作品は人間関係がドロドロしていてちょっと...という人がたまにいるが、自分はむしろその方がリアリティがあって読んでいて面白いと感じるのだ。ドラマはもう何世代に渡ってリメイクされてきたか分からないが、今後もリメイクを続けてこの傑作を化石にしないでくれ。


それでは。