Tanti Anni Prima

雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 28】本当に怒らせてはいけない人 | 52ヘルツのクジラたち

 52ヘルツのクジラというのはクジラの中でも特異な存在らしい。一般的なクジラは普段10~39ヘルツの範囲で鳴いている。それに対して52ヘルツというのは明らかに高い周波数である。楽器に例えるとチューバの最低の音よりもわずかに高い(「いや低いやんけ」と思わないで欲しい)。そんな稀な周波数を発するクジラは「世界でもっとも孤独なクジラ」と呼ばれているそうだ。2021年に本屋大賞に輝いた本書であるが、表紙のオシャレさも相まって、「52ヘルツのクジラたち」というタイトルから何故か直感的に明るい内容を想像してしまうのではないだろうか。ところが中身はなかなかの絶望感で満たされている。

読んだ本

・タイトル:52ヘルツのクジラたち
・著者:町田そのこ

感想云々

 本当に怒らせてはいけない人・怖い人というのは「優しい人」。それが自分が読み終えて初めて持った感想であった。
 そもそも本書のテーマは実は他にある。本書に登場するのは、虐待・育児放棄・いじめ・性的マイノリティなど、社会問題のオンパレードである。それらは普通の人には聞こえていない。だが、前述の特異なクジラが叫び続けているかの如く、彼らも声にならない声で叫び続けている。そういう人たちの思いを汲み取って欲しい...というメッセージである。そのため、自分の持った感想は主題とは少しずれているのかも知れない。だが、どうしても読み進める中で感じたある種の気持ち悪さがきっかけで、前述のような感想を持ってしまったのだ(そのように感情移入できるという点では、小説としてよく出来ているということになるのだが...)。
 「優しい人は怖い」。そう思うのは、優しさは一通りではないと考えているからだ。周りから「優しい」「親切だ」と言われる人の中には、どんなことも受け止めてくれたり、嫌なことがあっても流してくれる本当に仏のような人間が存在しているのかも知れない。一方で、ビジネスライクな優しさを持つ人間もその中にいると思うのだ。もっと言うと「優しく親切にしているほうが都合がいい」ということを頭で分かった上で、優しい人を演じている人がいるということだ。その人達も基本的には何でも受け止めるし、大抵のことは笑って流してくれるだろう。ここまでは前者の「真の優しい人」と一緒だから違いが分かりにくい。だが、彼らはもちろん仏なんかではない。人間である。そんな彼らはある一定のラインを超えてしまうと、いとも簡単にスパッと縁を切ってしまう。ある日突然その人の目の前からいなくなる。彼らはそういった縁を切ることを厭わないのだ。そして、彼らは縁を切った相手に対して一度でも心を閉ざしてしまうと、二度と心を開くことはないだろう。だが、例えば本書の貴瑚のような立場にいる人が、そんな感じで縁を切られたと悟ったらどう思うのだろうか。「あいつは自分を裏切った」と思うのではないだろうか?だが恐らくそれは間違いだ。散々その人の優しさを裏切り続けて、搾取してきた方に原因があると思うのだ。「優しい人」を一括りにしてしまう罠はそこにあると肝に命じておかねばなるまい。本書に登場するアンさんを果たして「真の優しい人」と言っていいかは分からない(少し行動に違和感を感じる部分もある)。しかし貴瑚は残念ながらアンさんの本当の優しさに気づくことが出来なかった。本書では前述のような虐待や育児放棄といった大きな社会問題が大々的に織り交ぜられているから若干気づきにくい。だがこのように「本当に大切にすべきものを蔑ろにして結果的に自分を破滅に追い込む」という構図だって世の中には蔓延っているだろう。正直この構図は自分にとって他人事とは思えない刺さり方をした。作中で後から気づいて悔やみ続けている主人公の貴瑚を客観的に見て、もやもやを拭えなかったのである。
 だが、完全に貴瑚を責めることもできない。本書を読んだ人間ならば分かると思うが、彼女は我々が想像する以上に何も与えられて来なかった人間だ。そんな壮絶な過去を持つ彼女に、「本当の優しさに気付け」という方が無理があるだろう。紆余曲折の末、最後は少しだけ闇の中から抜け出すような、希望が見えるような書かれ方をしていた。だが、これから先もそんなすんなりと上手くいくのだろうか。なんらかの別の形で、過ちを犯すのではないだろうか。個人的には、救いのない未来しか見えてこなかった。

終わりに

 内容の濃さゆえに色々とモヤモヤを抱えてしまったが、むしろそういう感情を読み手に持たせることができるのは、ひとえに小説としての魅力な気がしている。明るい内容ではないが本屋大賞を取るレベルで広まっていったのは、大小問わず登場人物の境遇を自分に重ね合わせられる部分があったからではないだろうか。


それでは。