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雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 14】一億総オタク社会にむけて | 幸せのメカニズム

社会に出ると、学生の時のようにテストなどの点数で評価されることは少なくなる。
そうなると競争意識はなくなり、一見自由な生き方ができるように思われる。
しかし、実際にはそんなことはない。
むしろ、他人との比較はより加速することになるだろう。

そんな厳しい状況にいざ置かれてしまうと、
「自分は本当に仕事として何がやりたいのだろう」
「他の人に比べて自分は何もできていない」
「自分の強みは一体なんなのだろう?」
そんな悩みが延々とついてまわることになる。

前野氏著の本書は、そんな負のループに陥ってしまう人々(自分も含む)の救いとなってくれる本に思える。

読んだ本

・タイトル:幸せのメカニズム
・著者:前野隆司
・読みやすさ:7/10点

ざっくり内容

「幸せはコントロールできる」
カバーにも書いてあるが、これが本書の主題である。
言い方があれだが、こんなことカバーに書いていると、本書を見つけた時に胡散臭い宗教感がどうしても拭えなかった。
しかし、内容は至って論理的である。

そもそも「幸せ」とはどういう状態なのか。
我々は幸せという感覚をなんとなく知っているが、意外とちゃんと考えたことがない。
幸せとは何か、幸せはどうやって測ることができるのか、幸せについてどんな研究があるのか。
序盤では、そんな前提知識となる内容が語られている。

中盤は、前野氏自身の研究内容である。
(こちらもカバーに記載があるが)幸せには4つのパターンがあるとして、因子分解をしている。
全ては伏せるが、「『やってみよう!』因子」(自己実現と成長)、「『ありがとう!』因子」(つながりと感謝)と言ったところだ。
「幸せ」というものは一見抽象的で、つかみどころのない概念である。
それを因子分解することで、「何が幸せにつながるのか」、その要因をよりイメージしやすくできるだろう。

終盤ではそれまでの内容を総括することで、これからの世の中の動向を考察している。
メカニズムを理解した上で、我々の行動・営みは幸せにどうつながっていくのか。
そんな具体的な内容が書かれている。
現状でふわふわしている「幸せの要因」は、因子分解することで具体的なイメージとなって、やがて万人の共通認識となる。
本書における総括は、そんな共通認識の土台となり得るものである。

感想云々

これは自分が常々考えており、本書を読んでより明らかになったことだが、人類がまず目指すべきなのは、自己成長やスキルアップではなく「オタク」になることだと思っている。
(ちなみに本書では言葉のイメージから「天才」と言い換えている。)
それは本でも、音楽でも、推しでもいい。
何かひとつ打ち込める趣味が必要なのだ。
(仕事でもいいのだが、できれば仕事から遠い分野の方が望ましい)

それらは恐らくGDPには直接貢献をすることはないだろう。
しかし、GDPとは関係なしに、個人の幸福感は上がっていく。
個人で打ち込んでいくことだから、評価軸も考え方も、何もかもが違う。
だから、そこに競争も劣等感も存在しない。
それでいいのではないだろうか?

話題となったハ・ワン氏の「あやうく一生懸命生きるところだった」という本にも書いてあることだが、最も簡単に不幸になる方法は、他人と比較することである。
そんなものは良く分かっている、と言いたくなるかも知れない。
しかし、今の社会のシステムでは「比較するな」という方が難しいだろう。
学校でも会社でも同じ時間に同じことを学び、同じようなことを実行することを余儀なくされることが多いからだ。

そんな生活に巻き込まれ続けていくと、うまくいかない時や、ふとした瞬間に
「自分はなんのために生きているのだろう?」
という思いが芽生えてきてしまう。
はっきり言ってそれは「考えなくてよい」と自分は思っている。
心配しなくとも、そんなこと一生かけても分からないからである。

自分の悩みに対して真摯に向き合うのは確かに大事なことだ。
でもその悩みは、一般人よりも何千倍も賢かった先代の哲学者たちが、24時間365日考え続けて、答えを出せなかったものでもある。
そんなとてつもないスケールの問いについて、一般人が少し頭をひねったくらいで、解決策を見いだせるわけがないだろう。
未来のことを考えれば不安が先に出てきてしまうし、過去のことを考えれば後悔が先に出てきてしまう。
そんな無駄なことに頭を割くくらいならば、いま自分が没頭できる趣味を見つけて、考えなくて良くなるほどに趣味で自らを忙しくしてみる。
それが他人との比較という負のループから抜け出す糸口になるのではないだろうか?
場合によっては、今やっているビジネスも「趣味のためのファイナンス活動」と楽観的に捉えることだってできる。
そうなれば「この仕事でやっていけなかったら全てが終わり」とビジネスに自己実現を求めてしまっている人々の救いの一手にもなるだろう。

「一億総うつ社会」を跳ね返すには、「一億総オタク社会」を作り出すことが必要になると思うのだ。

終わりに

「オタク」は本来ネガティブっぽい響きがあって、一部の人々を揶揄されるのに使われてきた言葉である。
しかし大衆文化が異常に発展してしまった今では、改めて必要とされる文化であるとも思っている。
自分がどんな年齢でも、どこにいても、どんなマインドの状態でも、いつでも打ち込める拠り所がある。
それは、とてつもなく幸せなことなのではないだろうか?


それでは。