Tanti Anni Prima

雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 17】図書室とプレゼントとドリームキラーと | お探し物は図書室まで

横浜で開催される友人の結婚式に参加せんと休日の朝早く新大阪駅に向かった自分であるが、手元に本が何もないことに気付く。「これでは車中で手持ち無沙汰になってしまうな」と思いつつ、早い時間からオープンする本屋に開店と同時に駆け込む。出発までの制限時間は残り10分。限られた時間で良さ気な本を何冊かピックアップする必要があった。
良さ気な本___________。
「今日何食べる?」という問いに「なんでもいい」と返された瞬間くらい悩みレベルの高い時間であったが、その中でなんとか捻り出したのは本書である。
恥ずかしいことに、実は手に取る前は本書を全く知らなかった。しかし実際に読んでみると、ほっこりと心温まり、かつ読了感も充実の素晴らしい小説であった。(そして自分の本屋大賞に対して如何に情弱か少々反省した。)

読んだ本

・タイトル:お探しものは図書室まで
・著者:青山美智子
・読みやすさ:8/10点

ざっくり内容

本書の中には、自身の仕事や生き方について悩みを抱える老若男女が登場する。彼等の仕事は婦人服販売員や、経理、ニートなど様々であるが、悩みを持つというその一点だけ共通項がある。そんな悩みを抱えたまま何の気無しにふらっと立ち寄った図書室には、無愛想かつ真ん丸体型の、しかし聞き上手かつ物知りな司書さんがやさしく(?)本をセレクトしてくれる。この本のセレクトが中々絶妙なのだ。「明日への活力」「希望」をテーマに、司書さんの少し奇抜な選書は作中の登場人物だけでなく、我々読者に対しても新しい風を吹かせてくれることだろう。

感想云々

 本というメディアは、こんなに時代が加速してもはるか昔からそのスタイルを変えていない。今では斜陽産業とも言われている領域かも知れないが、たった1冊の本が、その人の人生のターニングポイントになることは往々にしてあると思うのだ。自分が確実に読書の、かつ人生のターニングポイントとなったのは初めて司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んだ時であった。それまで全く読書をして来なかったわけではない。しかしそれは、能動的にはあまり手をつけることがない程度だった自分の本への価値観を完全に覆してしまった。坂本龍馬を知らない人はいないだろうが、映像では表現できないような龍馬の真の賢さと、彼が如何に激動の時代を生きたか、という疾風怒濤っぷりをその作品で未熟ながらに感じた。露出した24V電源に直に触ってしまったレベルで体に電流が走った。それから完全に読書ブーストがかかり、10年が経過した今でもその勢いは衰えていない。そして自分が曲りなりにも読書をする中で、やがて自分の興味は「周囲の人間はこれまで何を読んできたのだろう?」というものへと変わった。ビジネス本が多い友人の本棚を見れば「彼のロジカルシンキングはこれらがベースになっているのか」と腑に落ちたり、一見厳つくて大雑把である友人の本棚にて梨木さんの西の魔女を見つけると、「こいつにもこんな一面があるのか。」と繊細さを垣間見ることができる。直接言語化をすることはないが、その人が当時何を考えてその本を手に取り、その時どう考えたのか、といういわば人生が投影されているのが本棚だと思うのだ。そんな個人の人生を左右するポテンシャルも秘めている図書館や本屋は、やはりこれからも守るべき財産なのである。

 そんな本好きも相まって、少し前まで自分は、誰かの誕生日に居合わせた時は本をプレゼントするようにしていた。その人が興味ありそうで、かつ楽しく読んでくれそうな本を、自分の感性で選ぶのである。
でも、これは少々エゴだったかも知れないのだ。
自分は人と話す時に「それってつまり...」と相手の言ったことを要約してしまう癖がある。これは話をまとめるいいことのように思えるのだが、諸刃の剣だと思っている。自分が要約した発言が、本来相手が考えていたものといつの間にかすり替わってしまうリスクがあるからだ。自分は、相手に本を渡す時にもそういったよろしくない力が働いているように思えた(のだがそれは考え過ぎだろうか?)。その意味で、本書に登場した司書さんは自分にとって理想的なのだ。自分から一方的に押しつけるのではなく、相手の境遇を聞いて(かつ自分の口で言わせて)、導くように本を紹介してあげる.....何気ないことなのだろうが、自分はそこに優しさを感じた。

 ところで本書では、何気なくかかれていても妙に引っ掛かってしまった部分がある。それはドリームキラーの存在である。作中では、昔から夢を描いた職業を30歳の今でも目指し続ける登場人物の友人が、かつての同級生に「この年になっても夢追い続けてんの」と一蹴されるシーンがある。主題でもないし、作中でも一瞬だったはずのこのシーンに自分が目を留めてしまったということは、他人事ではないと感じたからかも知れない。社会人になると大半はより安定を求めるようになり、自ずと前例主義の勢力が強くなってくる。今までにない新しいアイデアや方法は「自分に経験がない」「分からない」という理由で「そんなの上手くいくはずがない」「実現可能性が低い」と思考停止で一蹴するようになる。自分のキャリアでそういう反対を食らい続けていると、ドリームキラーは意外と身近にもいるし、自分がそういう人たちにいつの間にか丸め込まれているのかも知れない、と感じるようになった。「相手を貶めてやろう」という考えのキラーならまだ何とでもなる。しかし、より厄介なのはそれを良かれと思っているケースである。「君が心配だから...」という考えはもちろんその人の優しさでもあるが、その反面自分の行動を制限する枷にもなり得るのだ。そんなドリームキラーに対して、自分は今後どのように関わっていくのだろうか。本書におけるストーリーの温かさに加え、ひょんなきっかけから自分の中ではそんなどす黒い感情が芽生えてしまった(異論は認める)。

終わりに

読書が苦手という人は、いきなり難しすぎる本に挑戦し過ぎなんじゃないか、という思いが個人的にしなくもない。前述で本を一方的に贈ることはエゴ、と言ってしまったが、本作の司書さんのように0→1を作り出して読書仲間が増えることは、読書好きにとってはこの上ない喜びである。いつか、そんな活動に携わってみたいものだ。


それでは。