Tanti Anni Prima

雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 26】御御御付はやっぱり最強説 | 一汁一菜でよいという提案

 平日の社会人はとにかく食事に割く時間がない。朝起きるとすぐに出発までのタイトな時間で朝食の準備をしなければならない。そして夜帰ってきたら帰ってきたで、献立を考えつつ、あまり夜遅くならないようにと急いで料理をしなければならない。独身に限らず専業の主婦であっても、家族の人数分を考えれば悩みは尽きないことだろう。そんな「日々の食事に頭を割くことが大変」と思っている人たちには、本書の著者である土井善晴氏が救世主のように見えることと思う。実は本書を知ったのは有隣堂さんのYouTubeがきっかけ。ひょんな巡り合わせだったが、これはもっと多くの人に読んで欲しいアットホームな内容である。

読んだ本

・タイトル:一汁一菜でよいという提案
・著者:土井善晴

感想云々

 「一汁一菜」というのはご飯を中心として、汁(味噌汁)と菜(おかず)それぞれ一品を合わせた食事の型である。元来和食の基本的なスタイルだが、本書を読んで振り返ってみると、自分が如何に和食の魅力を蔑ろにしていたかが分かる。最近は何故か思いついたように健康志向になった自分であるが、食事をする時は様々な栄養を取らねばと躍起になって数多の食材に手を出していたのが現状である。結果、一食分とはいえ食卓には一菜どころか何菜も並ぶことになる。だが苦労して準備した何菜もの献立は、味噌汁だけで完結できてしまうケースが多いのだ。その事実を知って味噌汁についてよく考えてみると、日本人の文化そのものであるかのように素朴だが栄養は満遍なく取れる、食材はある程度自由で何を入れてもいい、しかも手間もかからない...「最強の料理じゃないか!」と改めて思うのである。味噌汁のメリットはまだある。それは継続がしやすいということだ。これは手間がかからないからというだけではない。本書でも語られているのだが、味噌汁には「食べ飽きない」という特性があるのだ。ド偏見だが「食べるべきものは何か?」ではなく「食べたいものは何か?」という問いを受けると、焼肉とか寿司を挙げる人が多いのではないだろうか(自分もきっちりそうである)。だが、それらは毎日のように食べることはないだろう。いや、食べてる猛者もいるのかも知れないが。それらを連続して食べられない理由は、人間の「食べる」が、表面的な美味しさだけを求めてはいないからだそうだ。味噌汁には脳を瞬間的に喜ばせるような刺激はない。だが身体が無意識に知っている心地よさを与えて、ゆっくりと脳に伝えていくポテンシャルがある。身体が無意識的に欲している要素を不思議と味噌汁は持ち合わせているから、生活の一部のように毎日摂取しても飽きることはないのだ。もはや生活に馴染みすぎて、日本人が長年開発してきた味噌汁という最強の兵器を見落としていたことを恥じねばなるまい...
 ところで本書でも語られているが、日本は大きく「ハレ」と「ケ」の日に大別されている。おせちなどの豪華な料理が「ハレ」の日代表ならば、味噌汁が「ケ」の日代表の料理である。元々2種類の料理を区別していた日本人であるが、近年ではその垣根がなくなってきているそうだ。ハレの日の食卓をケの日の食卓に持ち込むとどうなるか。「食卓はいつも豪華でなければいけない」という錯覚を生んでしまうのだ。結果、毎日の献立に悩む原因となってしまうのである。自分はこの垣根の決壊が加速してしまったのは、SNSの普及も原因ではないかと考えている。InstagramやX(旧Twitter)を見ても、毎日のように見た目が派手な料理の写真ばかりが流れている。一方で、普通の食卓の写真は比較的少ない印象を受ける(そういえばタコさん定食を延々と載せていた猛者がいた気がするが...)。確かにSNSで料理の魅力を伝えるのはとても重要なことだ。だが元々ケの日を大事にしてきた人々が、SNSに載せたいあまり料理の見栄えばかりを気にして、ハレの日の料理を積極的に求めがちになっているようにも感じるのだ。また、ハレの日の料理への過度な欲望が続くとどうなるだろう。料理に対する感性が、より表面化していかないだろうか?もっとピンポイントな強い言い方をしてしまうと、「おしゃれなお店に行ったという証拠が欲しい」が第一優先になってしまわないだろうかということである。料理に見た目が重要なことは重々承知しているし、見た目が良くて味も良ければなお文句はないだろう。だが「綺羅びやかな料理の写真だけ欲しくて味はぶっちゃけ二の次」という意識が浸透してしまうと、(いらぬ心配かも知れないが)世の中がこんな料理で溢れてしまい、日本特有の素朴で丁寧な味が失われてしまわないか心配なのだ。近年では料理の豪華さを意識するあまり、単純なものを下に見る風潮が強まっている。しかし本書でも語られているが、食材同士を組み合わせて別の味を作るのは西洋的な考え方なのだ。一方で和食による日常の料理は手をかける必要があまりない。「素材を生かすにはシンプルに料理することが一番」という考え方を、我々は見直すべきなのかも知れない。

終わりに

 ユネスコの無形文化遺産に登録されるほど洗練されている和食であるが、料理の多様化・そして毎日の忙しさによりその魅力を忘れてしまいがちである。そんな時は、一品でもいいから本書に載っているレシピを作ってみて「日常のおいしさ」を求めることに立ち返ってみてもいいのかも知れない。


それでは。