Tanti Anni Prima

雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 24】天然物>人工物? | 魚ビジネス

 日本の各地でフレッシュな魚料理に舌鼓を打つ度に考えることだが、地元が魚の名産地である人は苦労することが多いのではないだろうか。というのも、幼いころから美味しすぎる魚を食べ続けていると舌が肥えに肥え、これがスタンダードなのだと思い込んでしまっている可能性がある。そうなると、居住地を移した場合に「地元の魚はあんなに美味しいのにな...」と後悔することが多いのではというド偏見が自分の中で無くならない。というか、日本全体がそもそもそういう状態に陥っていそうな気がしてならない。魚を含めた食のクオリティが高すぎて、これが普通と考えている人は少なくないだろう(自分もしっかりその一員である)。日本食(特に魚)の魅力は本当に素材そのものの品質ありきなのか?その魅力について今一度考えてみるのも悪くないのかも知れない。

読んだ本

・タイトル:魚ビジネス
・著者:ながさき一生

感想云々

 「魚は鮮度ではない」という考えは、言われてみるとそうかも知れない。だが自分が魚を食べる立場にあると、とにかく魚そのものの品質ありきで魚を判断してしまうのも事実である。「水揚げされてから~時間以内」みたいな謳い文句を見ると、それらは無条件で美味しいのだと錯覚してしまうのだ。だが本書に書いてある通り、魚は鮮度が全てではない、ということに改めて気付かされる。そもそも魚の魅力は、二つの軸に分けられる。一つ目の軸は、魚種や地域、漁法などのバリエーションである。日本で食べられる魚には、マグロもあれば、アジもあれば、マダイもある。この種類の豊富さというのは、ほとんどの人が認知しているであろう魚の魅力の軸であると思う。回転寿司に行っても、同じ魚ばかり食べる人はあまりいないだろう。(ちなみに自分は延々とサーモンばかり食べている)。飽きない程の種類の豊富さは、間違いなく魅力であり、日本の魚の強みの一つなのだ。そしてもう一つの軸は、流通のサプライチェーンである。マグロを提供するにあたり、穫る人がいて、流通させる人がいて、料理する人がいる。(自分含め)品質ありきで魚の良し悪しを判斷してしまう人にとっては、見落としがちな部分である。日本の魚が高品質なのは、サプライチェーンのそれぞれの要素単体のレベルが高く、それらの掛け算で相乗効果を生み出しているからなのだ。
 ところで「天然物と人工物はどちらが品質が良いのか?」という問いに対しては「もちろん天然物」と回答する人が多そうである。だが自分を含め、「天然だから高品質」という謎信仰に対しては少々考えを改めねばなるまい。今回のように魚を引き合いに出してみると分かり易いのだが、天然で獲れた魚は当然品質がばらついているのに対し、人工(ここでは養殖)のものは品質を一定にしやすいというアドバンテージがある。そして、人間が「うまい」と感じる魚の栄養素のバランスはある程度決まっている。つまり、人間の舌に合わせて美味くなるように栄養素を制御し、かつ高い再現性でそれらを提供することができる。改めて考えてみると、とても素晴らしいことじゃないだろうか?そう考えると、天然物は味の再現性の面でしんどさを感じずにはいられないだろう。もちろん、天然物の中に美味しいものがあることは重々承知している(というか、美味しい天然物が大量に獲れる日本の環境は中々チートレベルである)。だが、そもそも漁で狙った魚を捕まえるの自体も簡単ではなさそうである。そして捕まえた魚の中で「美味い」と感じるバランスを兼ね備えた魚はさらに限られてしまう。「魚は獲り過ぎたらなくなってしまう」というあたりまえの考えのもとでは、コスパ面でこれからも養殖の発展が進むことは間違いなさそうである。「人工」というとあまり良いイメージを持たないこともあるかも知れないが、なかなか捨てたものではない...
 ただ、養殖の技術が進むのは良いことだが、リスクも忘れてはいけない。養殖の技術が発展し、養殖可能な魚ばかりが大量生産されるようになると、やがて市場には画一的な魚しか出回らなくなる。そんな時、海外から魚を食べることを楽しみにやってきた人が、画一的な魚しかないことを知ったらどうなるだろうか?「あれ、別に日本じゃなくてよくね?」となること請け合いである。これは魚自体が高品質で、かつサプライチェーンも強固であった日本のアドバンテージがなくなってしまうことを意味する。養殖技術を他国が囲い込みはじめ、魚そのものの品質で追いつかれてしまうと、日本はいよいよサプライチェーンの連携をより強めることを余儀なくされる可能性がある。普段の自分の生活とあまりにかけ離れている領域であるため知るよしもなかったが、意外に日本の魚市場は逼迫している。普段当たり前のように享受している魚(というか寿司)を今までどおり好きな種類かつ好きなだけ食べることが出来なくなる未来を考えると、朝も起きられないのである。

終わりに

 品質が高水準過ぎてついついありがたみを忘れてしまいそうな魚市場であるが、その魅力を改めて考えさせてくれる本書は自分にとって良本である。世界に誇る和食の要となっている日本の魚の素晴らしさと意外な危うさについては、日本人であるならば一度は考えて見たほうが良いかも知れない。


それでは