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【蔵書No. 31】「劣等コンプレックス」とは? | アドラー心理学入門

 「人間関係をなんとかしたい」とか「もっと自分に自信を持ちたい」とか、生きているとそういう悩みや壁にぶち当たることがあるだろう。そういう悩みは、不思議と自分の中で抱えがちであり、あまり人に打ち明けることがない。だが、それらを抱え続けているとやがて悩みは膨らみに膨らむ。そしてエスカレートした結果、まるで「自分が世界で最も不幸なんじゃないか」というレベルの錯覚に陥ってしまう。そういう時、どうして哲学や心理学に首を突っ込まないのか、と思う(自分もかじりたての俄だが...)。超極端な話だが、世界には現在80億人を超える人間が存在している。なんなら、今まで地球上に生まれた「ヒト」は1076億人もいる。それくらいいれば、形は違えど今までに何度も同じようなことを悩み、その解決策を見出した人間が沢山いるだろう。というか、その考えかたのプロセスや解決策、結論をきっちり明確にしてきたのが哲学者達であると思っている。世の中には持っているだけで自分を変える力のある教養が沢山あると思っているが、アドラー心理学もそのひとつ。最近だと「嫌われる勇気」で改めてバズり散らかした哲学者である。「心理学」というワードを聞いて、瞬時に「難しそう」と身構えてしまう人は、まず本書のような超超超入門編から始めるべきだ。これが特効薬のようにすぐに自身の悩みを解決するかどうかはわからない。だが、ただ「難しそう」という先入観だけでこんな宝のような知識を身に着けないでおくのはもったいないと思うのだ。

読んだ本

・タイトル:アドラー心理学入門
・著者:岩井俊憲

感想云々

 本書を読んでいて一番感心してしまったのは、「怒りは二次感情」であるというもの。怒りは、実は怒りそのもので成り立っているわけではない。怒りの感情の根底には、不安・寂しさ・悲しみ・心配・落胆などの「一次感情」が潜んでいる。これらの一次感情が満たされない時、怒りという二次感情を使って対応することになるのだ。これが自分にとっては少々意外だった。そもそも怒りというものは個人的に防衛本能の一種だと思っていた。それに経験則で考えても、怒りはどんな感情よりも優先して自分をたちまち包み込んでくる感覚があった。そのため、怒りという感情はむしろ何を差し置いてでも一番先に来るものだという認識があったのである。そしてこの「怒りは二次感情」という知識を知っているか否かで、大きな差が生まれそうだとも思っている。知識があれば、怒りという二次感情をぶつけるよりも、もっと根底にある一次感情をきっちり説明した方が効果的だと分かるからだ。逆にこの知識がないとどうなるだろうか?いい方は悪いが、脳死で怒りをぶつけることを繰り返す羽目になるのだろう。
 ちなみに本書には載っていないが、ついでに怒りについて併せて抑えておくべき知識があると個人的に思っている。それは、怒りのピークはたった6秒しかないということだ。そもそも我々が強い怒りや感情を覚えると、身体は瞬時にアドレナリンを大量に分泌する。すると身体は興奮状態になり、冷静な判断ができなくなる。もう想像できるかも知れないが、このカッとなってからアドレナリンが分泌されるピークが6秒であるということだ(脳科学的にはさらに短い「2秒」らしいが...)。つまりその6秒を深呼吸なり何なりしてなんとかやり過ごせば、キレてしまうことはないということだ。正直この知識を把握した上で、「6秒ルールはほんとかな」という気持ちは正直ある(6秒で全然収まっている気がしないのだ...)。だが、前述の二次感情という内容と同じく、知識として持っているだけで自分を制御できるきっかけになると思うのである。
 もうひとつ本書の中で興味を引いたワードは、「劣等コンプレックス」というもの。これは自分が現在進行形で劣等であることをひけらかして、人生で取り組まなければならない課題(ライフタスク)を避けようとすることだ。この「劣等コンプレックス」という単語の他に、我々にはより親しみのある「劣等感」というワードもある。「劣等感」は他者との比較を連想してしまいがちだが、自分の理想や目標と現実のギャップから湧いてくる陰性感情を総称して「劣等感」と呼んでいる。この「劣等感」と「劣等コンプレックス」は少々混同してしまいそうである。前者の「劣等感」はただの主観的な感情であるのに対し、後者の「劣等コンプレックス」は態度や行動のことを指しているのだ。この劣等コンプレックス、アドラーに言わせれば「ほぼ病気」らしい。劣等コンプレックスというのは勇気の欠如のあらわれでもあるのだ。正直このワードを知った時は耳が痛い思いだった。まるでかつて腐りに腐っていた自分のことを言われているようだったからだ。だが、同時にこれは救いであるとも思った。一見抽象的な人間の行動・心理をアドラーがきっちりと言い当ててくれているようにも感じたからだ。よく「自分が今どうしたら良いのかわからない」というような悩みを聞くことがある。そういう悩みを持つのは、抽象的な感情を抽象的なまま捉えてしまって糸口が見つからないからだと考えている。そこでアドラーが行っているようなしっかりとした態度・行動・感情への定義付けがあると、今自分がどういう状態に陥っているのか、何が根底にあるのかをより具体的に把握することができる。一発で悩みを解決することは出来なくとも、それによって解決策が見えることもあるだろう。具体的なハウツーを学ばずとも、自分の負の状態を正確に表していたり、言い当てていたりするようなワードや定義に出会うと、まるでモヤが晴れたようにスッキリと腑に落ち、解決への糸口になり得る。アドラー心理学は、そういったきっかけのひとつになると思うのだ。

終わりに

 自分は「嫌われる勇気」があんなに流行っていたのにそこから手を付けず別冊から挑んでしまったひねくれ者であるが、それでもアドラーという没頭すべき素晴らしいコンテンツを見つけた。「人生が大きく変わる」なんてキャッチコピーを見ると、大抵は胡散臭いと思ってしまうだろう。だが一度アドラーをはじめとした哲学・心理学の世界に染まり始めれば、そのコピーだって誇張ではないことに気づくことができるだろう。


それでは。