Tanti Anni Prima

雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 20】知識の「リンク化」という考え方 | 忘れる読書

 世の中の人々がどのような姿勢で読書をしているのかはあまり良く知らないのだが、自分は読んだ本の内容の大半は忘れてしまう。どんなにメッセージ性の強い内容であっても、記憶しているのはせいぜいそのうちの1%、もっと酷い時は0.1%程度という場合が往々にしてある。「読書は知識を得るのに最高にコスパが良い方法」というのは自分が長年に渡って持ち続けてきた信条のはずである。とはいえ、いくらなんでも忘れすぎじゃね?と半ば悩んでいた矢先にたどり着いたのは落合先生の本だった。気がついたら本人の誕生日ライブをリアルタイムで追う程度には先生に入信していた自分であるが、本人の読書観に触れるのは本書が初めてかも知れない。研究者や、メディアアーティストとしての肩書きが目立つ一方で、本人の違った一面に触れることのできる良本であった。

読んだ本

・タイトル:忘れる読書
・著者:落合陽一
・読みやすさ:8/10点

ざっくり内容

 「本を読んでもなかなか知識が身につかない」と悩める人は多いだろう。そんな悩みに対して「何かを読んで知識を得た時、適度に忘れていくことが大事」というのが本書のテーマである。根拠は様々だが、最も簡単な理由は「Webで調べれば辿り着けるから」だ。今日は便利な時代で、自分達が持っているデバイスを活用すれば、ほとんど忘れてしまったような文献の内容や、参考書に載っていたような数式にたどり着くことが出来る。そのため、わざわざ自分の脳内に或る文献を一冊丸々残して置く必要は無くなってきているのだ。ただし、求めている対象の知識の持ち合わせがゼロでもいけない。当然のようだが、知識のとっかかりがないと、そもそも何を調べていけば良いのかが分からないからだ。そのため、読後に自分の中に残った知識や考えをざっくりと頭に入れ、「フックがかかった状態」にしておくことが重要なのだ。現代ではコロナの拡大やAIの発達により、我々はより行き先の分からない時代を生きなければいけない状態にある。その中でまず必要になってくるのは「物事を抽象化して考えること」だ(筆者の主張の一部である)。そういった物事をゼロから考え、分析するための思考を鍛えるには、やはり読書が適している。しかし、その読書の方法も世の中の動向に合わせて徐々に変化させて行く必要がある。落合先生独自の読書スタイルは、幅広い層に対して新しい風を吹かせてくれること請け合いである。

感想云々

 個人的には明らかに記憶力の問題と思っていたのだが、読書をすると内容の大半を記憶から除外してしまう自分にとって「知識のリンクづくり」というのは読んでいて嬉しくなる内容だった。そもそも読書をしていて知識が増えていくこと自体は楽しいことであるが、それに伴って「人間の脳の容量には限界がある」とも感じ始めている。そんな考えもあり、メディア環境が大きく変わった今では、個人が所有している特定の知識の質自体の価値は、徐々に下がってきているように思えるのだ。それと同時に、個人が持つ「リンク化された知識の量」はかなり重要だとも思い始めている。トランプゲームで、手札をたくさん持っている状態に近いかも知れない。複雑な局面に出くわした際、手札が多くてさばき方がたくさんある方が有利に事を進められるのは言うまでもないだろう。例えばエンジニアが製品の設計をしていたとして、ある物理現象を目の当たりにした時でも「内容ほぼ忘れたけど、なんかこれを裏付けるような方程式があった気がするな...」と気付きさえすることができれば、あとは調べるだけで現象の解決に向かっていけることは想像に難くないだろう(そういった知識が多ければ尚更である)。そういったごく一部のケースでもそうだが、何か新しいものを創造しようとした時にも、リンク化された知識は効果を発揮すると考えている。自分はイノベーションというのは元来「既存の要素に対して、今まで誰もやったことのない混ぜ合わせをして新しい価値を生み出すこと」だと認識している。そんな要素の混ぜ合わせを試みたい時に特定の知識ばかりに偏り過ぎていることは、むしろイノベーションの妨げになる可能性だってある。イノベーションをするには、自分が持っている知識をできるだけ抽象化してしまって、どう結びつけるのかを俯瞰的に考えるのが重要だと思うのだ。これはテクノロジーにとどまらず、人間の感性やこころに対しても同じなのかも知れない。
 そういった「リンク化された知識の量」とは相反しそうだが、そのリンク単体としても、ある一定のレベルが必要だと考えている。自身が他人と会話をしている時に、同じような語彙力を持つ者同士であれば、会話がスムーズに進むのは言うまでもないだろう。逆に語彙レベルが極端に離れていると、噛み合わない故にその溝を埋める工数が発生することになる。これはリンクとしての知識にも同じことが言えそうである。お互いに(全て知っているわけではないまでも)特定の知識を持っており、それに纏わる単語を発するだけである程度の共通認識が取れる。逆に(とりわけ自分に)そういった一定水準の備蓄がないと、深い会話をする機会を逃してしまうかも知れない。限られた脳のメモリの中でできるだけ無駄が削ぎ落とされたリンクを作っておき、なおかつそのレベルはコミュニケーションの妨げにならない程度の水準を保つ、というバランスが必要だと思うのである。

終わりに

読書に対する価値観は人それぞれかも知れないが、「教養を得る」という観点では、持続化させることが大事だと思うのだ。読書となるとインプットばかり考えてしまいがちだが、逆にどう忘れていくか、という考え方を提供してくれた本書には感謝しかない。
これからインプットしていく様々な知識の断片がどう化学反応を起こしていくのか楽しみでもあり、それが今後の読書のモチベーションになりそうである。


それでは。