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雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 16】「分からない」発言撲滅運動 | 思考の整理学

ChatGPTをはじめとしたAIの出現によって、今までの働き方や特定の分野の学習方法がこれから様変わりしていくことは想像に難くない。その拡散スピードを以て実際にAIを試してみた方々は、その実力を肌で感じていることだろう。そんな中、AIの出現で仕事を奪われるかもしれない、という脅威も浮き彫りになっている。
(自分もその脅威に絶賛苛まれている)

そうなると、ただ言われたことを脳死でやっているだけでは、近い将来生き残る可能性はさらに薄くなってしまうだろう。
我々が折角生まれながらにして持ち合わせた脳を今後いかにフル回転させていくかは、割と喫緊の課題かも知れない。

読んだ本

・タイトル:思考の整理学
・著者:外山滋比古
・読みやすさ:6/10点

ざっくり内容

「グライダー」という言葉が本書冒頭で使われている。
これは日本の学習モデルで量産されてしまう指示待ち人間を揶揄した言葉である。
今日の教育の分野において、学校の生徒は先生および教科書によってひっぱり上げられている。また、学校側の評価制度において、グライダーであることが上手な人が「優秀」と評価されるようになっている。独力で知識を得るわけではないので、自力で飛ぶことは難しい。そんなグライダー達が量産されている構図に著者は警鐘を鳴らしている。何か新しい物を作ろうとするには、単にグライダーであってはいけない。グライダーではなく、自分で飛べる(思考できる)ような飛行機であることが求められるのだ。

そしてその問題提起を受けて、「もっとインプットを大量にしてやろう」という初動に至る人もいるだろう。ただし、そのインプットにだってやり方がある。「今の頭の使い方は危険かも知れない」というマインドセットをした上で、いつ、どこで、どのように思考を整理すればいいのか。本書を読むことで、今までの常識をほどよくぶっ壊す良いきっかけになると思われる。

本書が最初に刊行されたのは1986年のことである。そこから既に約40年が経過しようとしている。だが当時よりも、AIが発達した現代の方がより刺さる内容となっているのは間違いないだろう。

感想云々

 振り返ってみると、確かに現在の教育制度は、新しいことを創造するための思考を阻害してしまっている部分があったのかも知れない。それを一番感じるのは、就職活動の時であった。(経験したことがある人は少なくないだろう)
小中高では、とりあえず言う事を聞きなさいと言われる。大学に入っても数年間同じようなことが続くが、いざ社会に出る前段階になると突如「個性を出せ」「あなたの強みは?」など、急に自分らしさを求められることになる。(その後、一部の会社ではまた「だまって言うことを聞け」と言われる羽目になる可能性がある。)
そういうことが頻発するため、今のモデルでは、いざ求められた時に然るべき思考ができないのは、割と自然とも言えるのかも知れない。だが、今の時点で教育制度に言及しても、急に制度を変えることは難しいだろう。そうなると(当たり前だが)社会の制度ではなく、自分の方法を変えてしまうのが最も手っ取り早いと思うのだ。

 また、本書を読んで更に確信したことだが、情報ないし思考には、鮮度があるなとつくづく感じる。例えば本や新聞などのメディアで自分のアンテナが反応する情報を得ると、あとで切り抜いておこう、と考える。しかし、この「あとで」は意外と厄介なのだ。その情報自体を忘れてしまうわけではないのだが、その瞬間を逃してしまうと、後で見返してもその情報は恐らく当時とは別の見え方になっているだろう。感じたことや考えたことの瞬間風速が最大であるのは、他でもない、特定の情報を目にした瞬間だと思うのだ。別に、その時点の思考が誤ったベクトルでもかまわないのである。その時に保存した思考を一旦寝かせることで、後日見返して新たな発見が生まれることだってあるのだ。幸い、今の時代では切り抜きやメモを即座に実行するツールは腐る程ある。(ブログだってそのひとつだろう)その瞬間風速をとらえる機会を積み重ねることが、良質な思考へのきっかけになるのではないだろうか。

 さらにもっと根元の話になるが、そもそも思考停止という状態を作らないことが絶対の前提条件であるのは間違いないだろう。その中で、普段我々が何気なく使う「分からない」という言葉・発言は、思考する上でかなり厄介な言霊であるように思えるのだ。これは学生時代に限らず、会社に勤めていても感じることである。きちんと思考プロセスを踏んだ上での「分からない」状態ならばまだいい。しかしこの言葉を多用し続けると、いつしか思考することを蔑ろにして、枕詞のように先に出てきてしまう可能性がある。この言葉を発した瞬間にその人の思考はゼロになってしまうし、その後思考が続くことはないだろう。普段何気なく使っているその枕詞を減らして、とりあえずアイデアをひねり出してみる。その姿勢になるだけでも、思考のプロセスは大いに変わっていくのではないだろうか。別に、無理をして捻出したアイデアや発言が多少的外れでもかまわない。周りはそのギャップから何か別の切り口を見つけられる可能性があるだろうし、何なら盛大に滑ってある種のいいボケになり得る。それは沈黙を通したり思考停止で居続けるよりも何倍も価値があると思うのだ。

終わりに

右ならえの思想が強い日本人には、個人がきちんとした思考術を身につけることは優先度が高いだろう。

「東大・京大で一番読まれた本」という仰々しい謳い文句がすでにつけられているが、そんなこと言わず、「日本で一番読まれた本」くらいになるまで浸透して欲しいものである。


それでは。