Tanti Anni Prima

雑食なエンジニアの本棚

リベンジMIHO MUSEUM

「関西圏の有名な美術館はどうして軒並み辺鄙な場所にあるのだろうか。」というのは自分が関西に移住して以来ずっと持ち続けている疑問である。

関東圏ならば、一度東京に身を投げてしまえばどんなに方向音痴な人でも美術館に辿り着けるであろうと思える程に美術館の密度は凄い。
素人目線だが、密度の意味合いではとりわけ上野の実力は相当なものに思える。
上野駅を一度降りればすぐさま国立西洋美術館が出迎えてくれるし、そこから上野の森美術館や東京藝術大学美術館にはものの2秒で着いてしまう。(体感)
それ以外にも、東京駅近辺ならば三菱一号館美術館があるし、ズーヒルギロッポン(訳:六本木ヒルズ)に行けば立地良し景観良しという戦闘力高めの森美術館が存在しているのだ。そんな芸術分野のゆとりとも言えるような環境で育つと、いざ関西圏で興味のある美術館に行く際には意外と苦労するものである。

前述の通り美術館の東京都大会は激戦区であるのだが、関西圏の地方の場合は圧倒的な戦闘力を誇るシード選手が一強を守っている場合が多い。
徳島県ならば米津玄師が紅白の舞台にも使った大塚美術館が真っ先に引き合いに出されるであろうし、香川県ならば安藤忠雄ワールド全開の地中美術館が思い浮かぶ。
そんな知名度および秘境度の二冠をほしいままにせんと息巻いている各地方の強者達に対抗して名乗りを上げるのは、滋賀代表のMIHO  MUSEUMである。
「コンテンツも建物も素晴らしいが、もう一度行くかと言われたら怪しいかも」ランキングでは国内トップクラスに君臨するであろう某美術館にリベンジの気持ちで赴くことになる。

秘境への入り口

前回MIHOを訪れた時のことはまだ記憶に新しいのだが、実は門前払いを食らっている。当時自分の中では美術館ブームが巻き起こっており、徳島の大塚美術館に弾丸した時の感動を覚えつつ、「地方の美術館もなんだかんだいいじゃん」と思って次に手を出したのがMIHOであった。当時MIHOだけを目指して滋賀を訪れていたわけではなかったのだが、いざ車でたどり着いてみると、そこは事前の予約制である上に、日付は月曜日。なんとバキバキの休館日であった。スマホで効率良く調べればものの1分でわかりそうな情報を蔑ろにして、その場で不戦敗を喫することになる。そんな苦い思い出もといアホな思い出を胸に、今回2年越しにエントリーすることになる。(きっちり予約したものの、現地で開館しているところを見て初めてホッとする。)

市街地から離れて山道を数十分ドライブしないとたどり着けないMIHOは、静謐という言葉が良く似合うほどの無音の環境である。
他にも車から降りてくる方々も、他の人気観光地を犠牲にして只々MIHO一点を目指して乗り込んできた者たちだ。面構えが違う。車のナンバーも大阪から宇都宮からカムチャッカ半島から様々である。
そんな念願のMIHOにたどり着いて意気揚々と入り口を進んでいくと最初に迎えてくれるのはなが~いトンネルである。

MIHOを訪れる少し前に検索エンジンで調べた際、「MIHO」というワードを入れただけで「MIHO MUSEUM  ヤバい」という検索候補がなぜか上位に来ていたことを覚えていた。その原因は実は、なんとも言えない畏怖の念を持たせるこのトンネルなんじゃないか、と思える程には異世界への入り口感が強い。
写真ではグレー一辺倒なこのトンネルも、実は季節や時間帯によっては全く別の顔を見せる。MIHOは桜の名所としても名高いのだが、春にはトンネル中がなんとも妖艶な桜色に染まる。一方で、日没間際の時間帯にはトンネルが眩い金色に輝くのだ。
いずれか知っていたら絶対それを狙って来たのだが。

いざ美術館内部へ

「迷って異世界の玄関にたどり着いてしまった荻野千尋もトンネルを抜ける心境はこんな感じだったのだろうか。」と思いながら長いトンネルを抜けるとそこは雪国ではなくMIHO MUSEUMの建物入り口である。
敷地の各箇所で謎の異世界感を放っているMIHOであるが、一番それを強く感じるのはトンネルの抜け口なんじゃないかと思うのだ。トンネルを抜けて敷地内に入った瞬間から周りは山々に囲まれており、他に出口はひとつもない。「嗚呼、もう自分は現世に帰ることはないのかも知れない」と思う瞬間である。

自分はかつて「美術館は館内で美術品を展示するのが役目だから主役は美術品であって、何も建物自体はこだわらなくてもよくね?」と考えている時期があったのだが当時の自分をぜひ笑顔で殴りたい。むしろ建物としても魅力のある美術館はそれだけで来場者の美術感度を倍増させるし、同時に美術品の魅力を引き立たせる役割もあるのかも知れない、と素人ながらに思う今日このごろである。そして、MIHOも間違いなくそのひとつに思える。エントランスの外観もなのだが、内部のロビーも多くがガラス張りになっている。その構造も手伝って新緑がよく映えるのだ。当日は天気が芳しくなかったのだが、この建物ではむしろ晴れていない方が似合うのかも知れない。なんなら雨が降っている光景の方が最高にマッチしそうだと思えるほどの素朴さを兼ね備えている空間であった。

建物としての完成度が高くてその時点で割と満足してしまっていた自分がいたが、常設展も企画展も実にマニアックである。ガラスの他はほぼライムストーンで作り上げられた建築様式であるが、エジプト、ローマ、ペルシアなど、独立したブースに各国のそれぞれの展示が用意されている(後日、MIHOとルーブルの建築家は同一であることに気付く)。世界地図そのものを練り歩いて制覇するように、各地の神像や金銀器の展示を楽しむことができるだろう。自分はコロナ禍以前のMIHOの来場具合を知らないのだが、秘境故に館内の人口密度はあまり高くない。そのおかげで作品をゆったり楽しめるのは、元来この美術館が持つ強みなのかも知れない。

終わりに

芸術を後世に残すことが使命の美術館自身が建物として本気を出しているのを見ると、それだけでも嬉しい気持ちになるものだ。
アクセスのしんどさは確かにあるのだが、そこに行くだけの価値はやはりある。
モミジが植えられているのを見る限り、桜だけでなく紅葉の季節も楽しめそうだ。
そんなオールシーズンに対応している抜け目ないMIHOには、関西にいる内にまた頑張って来たいものである。


それでは。