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【蔵書No. 40】カッコいい生き方とは | 勇猛・悲壮「辞世の句」150

 歴史上の戦国武将や幕末志士たちは当時辞世の句をたくさん詠み、それが文献として残っているのに、現代ではほぼ見かけることがなくなったのは何故だろうか。単純に歌という文化がなくなっていったからだと考えていたのだが、もしかして表に出さず知られていないだけで、今でも皆ひっそりと詠んでいたりするのだろうか。数十年も続く人生を、最後にたったの数文字にこめるなんてとてつもなく難しいことだろう。その人が生涯信念を持ち、貫いてきたからこそ出来る芸当だろう。だからこそ、先代が残していった辞世の句にはパワーを感じる。文献通りの力強さが句に表れているものもあれば、「こんな豪傑がこんな綺麗な句を!?」と驚かされるものもある。文献を辿るのとは別に、辞世の句を起点にその人物の人生を紐解くアプローチになり得る。だから辞世の句は魅力的なのだ。

読んだ本

・タイトル:勇猛・悲壮「辞世の句」150
・出版:DIA Collection

感想云々

 歴史上の偉人の辞世の句を読むと、いつもそのスケール感に驚かされる。今まで自分は、辞世の句はその人物のこれまでの人生の総括のような意味合いが強いと思っていた。ところがそれだけではなかった。改めて読んでみると、ほとんどが自身の思いを未来に託す前提になっているのが魅力的なのだ。

 例えば吉田松陰。彼は幕末の長州藩士であり、山鹿流兵学を修めた思想家である。彼はとにかく自身の生涯で早くから世界情勢に興味を持っていた。1853年に黒船が来航した際には、自分も外国に渡ってやろうと画策するようになった(ちなみにその翌年にペリーが再来航した際、艦隊に乗り込もうとしたがいずれも失敗)。周りからは死罪とまで言われることもあったほどだった。だが彼はその後も老中の暗殺を企てるなど、自重することを知らなかった。そんな彼の辞世の句は以下の通りである。

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂

「勇猛・悲壮 『辞世の句』150」より | 結城凛

 一見無謀なことを繰り返しているように思える吉田松陰。彼の頭脳ならば己の力の限界も当然理解していただろう。だが、彼は例え自分が死んだとしても、自分が後世に対する火付け役になることを望んでいたのだ。「個人でどう生きるか」ではなく、「どうやったら国を動かせるか」ということを常に考えているスケール感が凄いのだ。約30歳という短さでその生涯を終えた吉田松陰。その生涯で一切のリスクを顧みなかった捨て身の精神は、ぜひとも見習いたいものである。

 そして本書の中で自分が気になった人物がもう一人。それは佐久間象山だ。こんなことを言うと歴史ファンには圧倒的に叩かれるかも知れないのだが、個人的に坂本龍馬や土方歳三に比べて、佐久間象山は幕末におけるイメージが若干薄かった。名前だけは知っているという状態で、本書で彼の辞世の句を読んで、改めて存在を思い出した次第である。しかしよくよく考えてみると、佐久間象山はとんでもない人物だ。彼は吉田松陰のような思想家でもあり、軍事学者でもある。そしてなんと発明家の側面も持っているのだ(発明品は大砲や地震予知機など)。というかそもそも彼の教え子には、前述の吉田松陰や坂本龍馬、加えて勝海舟など名だたる人物がいる。もうその事実だけでも、彼が改めてバチバチのハイスペック男だということがわかる。そんな佐久間象山の辞世の句は以下のようなものであった。

折にあえば 散るもめでたし 山桜 めづるは花の 盛りのみかは

 

「勇猛・悲壮 『辞世の句』150」より | 結城凛

これは「桜が魅力的なのは咲き誇っている時だけでなく、散る時だって美しいよね」という意味合いである。バチバチの天才であると同時に、奇人であるという話もあった佐久間象山。弟子からは「法螺吹き」と揶揄されるほど人間性に問題があった(ちなみに本人も自分のことを日本一の天才だと思っていたようだ)。前述のような輝かしい功績の数々が見て取れる彼の経歴だが、どんなに数多くの功績を残しても、本人がフォーカスしているのはあくまで散り際なのだ。そんな彼の辞世の句を読んでいると「人間は何を成し遂げたかではなく、どう生きたかである」ということを考えさせられる。これは司馬遼太郎の作品「燃えよ剣」を読んだ時にも似たようなことを感じた。自分はメーカーの人間ということも相まって、この世に自分の功績をモノで残したいという思いが強い。しかしどんなに凄いモノを作ったとしても、死ぬ時に「もう何も思い残すことないぜ」と自分の生き方に誇りを持てなければ意味がないのだ。佐久間象山本人の生前の傍若無人の様であったり、我が国に新しい考えを取り入れることを厭わないリスク度外視っぷりを見ると、吉田松蔭のような捨て身で人生を生きようというスピリットは師弟間でしっかりと受け継がれていたように思える。

終わりに

 本書はもう少し歌の読み解きがあれば良かったな...と思う反面、歌そのものから詠み手のことを調べ、自身で解釈してみるのも面白い。最後は「我が生涯に一片の悔いなし」と散ることができたらどんなに幸せなのだろうか。


それでは。