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雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 43】手書き派とデジタル派の終わりなき戦い | メモの魔力

 企業に勤めていると、日々の業務や会議でメモを取る人が手書き派とデジタル派にきれいに分かれている。近年ではメモを取るアプリやソフトが普及しているが、未だに手書きの人気は根強い。本書の著者である前田裕二氏は、そんな手書きのメモの重要性を全面に押し出している第一人者だろう。メディアに出ていても、その場で人目を気にせずメモを取っている光景を見かけることの多い前田裕二氏。彼がメモをどんなことに活用しているのかであったり、「そもそもあんなに何を書き込んでんの?」という疑問を持ってる方におすすめの本である。

読んだ本

・タイトル:メモの魔力
・著者:前田裕二

感想云々

手書き派?デジタル派?

 そもそもこの論争には終わりが無いのかも知れない。が、自分の場合は51:49くらいの割合でギリギリデジタル派に軍配があがる。近年ではOne Noteを始めとするメモ用(?)のソフトウェアが台頭してきて、自分も仕事上で使う機会が増えた。ただし、それでも手書きを完全にやめているわけではない。手を動かしてメモを取るという作業自体が脳へのインプットを助けている実感があるし、読書でいうところの「記憶の三次元化」がメモにもあると思うからだ。そのため、もしメモをあくまで「脳にインプットして覚える」用途として使うならば、手書きの方がまだギリギリ優勢なのだろう。だが、近年ではわざわざ脳にインプットして覚える、という作業も不要になってきている気がする。というのも、今日我々は昔よりも圧倒的な情報量にさらされるようになった。その情報量に対して、そもそも脳も全て受け入れられるほどの容量はないだろう。それに逐一メモを取っていっても、情報を素通りすることはないにせよ、後から振り返ろうとすると大変な労力を要する。一方でデジタルならば、とりあえず書くだけ書き溜めておいて、後から辿るにはそのワードで検索をかけるだけでよいのだ。そのため、本書に載っているようにメモをあくまで「第二の脳」として使うのならば、デジタルに頼る方が圧倒的に有利だろう。だが、そんな理由で手書きのメモが完全に不要になるかというと、実はそうではない。手書きのメモは、次に挙げるようなアイデアの「転用」に非常に有効だと思えるからだ。

「転用」という考え方

 前田裕二氏が自身のメモで何をしているかというと、「ファクトの列挙→抽象化→転用」ということを行っている。まず日常で得られた情報を「ファクト」として客観的にどんどん挙げていき、「抽象化」で気づきや抽象的な法則を見つける。そして「転用」で法則に則った具体的なアクションを考えるのである。この作業をPCでやろうとすると、逆に仰々しい。コンパクトに、かつ自由に制御できる手書きのメモの手軽さがモノを言うだろう。そもそも自分は手書きのメモを、「転用」まで使った試しが無い。というか「転用」はおろか「抽象化」もやったことがない。せいぜい「ファクト」を列挙して終わり、というケースがほとんどであった。だが本書を読んだことで、そのあり方が少し変わった気がする。今までファクトだけ記載していき、使い終わった後は本棚にただ積まれていくだけの運命だったメモたち。一度抽象化・転用のノウハウを知ると、ファクトの塊に留まっていたはずのものが、途端にアイデアの宝庫に化けるのである。これって、かなり画期的なことではないだろうか?正直、今まで自分が如何にもったいないことをしていたかを痛感した。加えて、過去の自身のメモを漁ってこのフレームワークに当てはめて、何か新しい気付きを得てみようかというワクワクも止まらない次第である。

終わりに

 本書では抽象化・転用のノウハウを知り、改めて手書きの大事さが分かる良い内容だった。だが、この抽象化・転用のプロセスも将来的にAIの技術等で自動化されて簡易的になり、いつかは手書きのメモが完全にこの世から消え去ることがあるかも知れない。自分が歳を重ねた時に若き世代から「えっ、こんなことをわざわざ手書きでやってたの!?」と化石扱いされる時代が来るかと思うと、色んな意味で手書きのメモは貴重...そんなことを考えるのである。


それでは。