Tanti Anni Prima

雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 3】鈍感のすゝめ | 鈍感力

著書「鈍感力」が話題になり、流行語の候補にもなったのはおよそ2007年。約10年前である。

因みに他のノミネートを調べてみると「KY(空気が読めない)」「どげんかせんといかん」等、もはや時代を感じさせるような語句ばかりである。

そんな10年前に流行った本書であるが、そのパワーワードっぷりは未だ衰えず。

「そういえば読んでいなかったなぁ」とおもむろに手に取って読んでみたのだが、終始感心させられっぱなしの本であった。

「鈍感」であることのメリット

一般的に「鈍感」というとマイナスなイメージを思い浮かべてしまう。

普段の生活や仕事においても、鈍感であるよりは何事にも敏感であった方がなにかと得をしていそうだし、実際「あいつは鈍感だ」なんて言葉は紛うことなき悪口である。

しかし、何事にも敏感であることが必ずしもメリットばかりではない、というのがキモであるらしい。なぜなら、何事にも敏感な人は自身に降りかかってくるストレスに対しても敏感であるからだ。

これは身体的にも精神的にも言えることである。

例えば、身体的に敏感な人は暑さや寒さ、痛みに対しても敏感になってしまう。対してこれらに鈍感であれば、敏感な人に比べれば苦痛を感じることはない。

精神面についても同様で、例えば誰かに叱咤されたり、嫌みを言われたりすると敏感なひとはたちまち凹んでしまいかねない。精神的に鈍感であるなら、これらをあまり気に留めることはないだろう。

極端に考えれば、鈍感な人というのは敏感な人に比べて長生きできるのである。

「鈍感」「敏感」どちらも才能

例を考えてみても、鈍感であることの方がいいことづくしであるように思えるだろうか?

しかし、敏感であることももちろん才能である。

五感の中で味覚を例に挙げるなら、味に鈍感である人は偏食になることなく何でも食べられる。対して味覚に敏感な人はそれだけで料理人の才能があり、逆に優れた料理人というのもまた味覚に敏感な人が多い。

このようにして、ある物事に対して敏感であっても鈍感であってもメリットという事象は決して少なくない。

大事なのは、ある物事に対して鈍感な人は、「鈍感である」という才能に気付くことではないだろうか?

終わりに

この本が話題になってから約10年。10年前に比べて社会はより情報化の道を辿り、自身に降りかかってくる情報は10年前とは比べものにならない。

毎日、数多くのストレスに囲まれていることを余儀なくされている現在、自分の「鈍感力」とあらためて向き合う事が必要とされているようだ。


それでは。