Tanti Anni Prima

雑食なエンジニアの本棚

【蔵書No. 12】ライティングの枷は何なのだろうか | 読みたいことを、書けばいい。

最近は色んなメディアに触れることが多くなった。
そのためインプットはたくさんあっても、アウトプットする機会がめっきり減った。
最近は書店に足を運ぶと、アウトプットの指南書がたくさん並んでいる。
「アウトプット大全(樺沢紫苑著)」などはその代表格だろう。
それを読んでモチベーションが上がる人もいるのではないだろうか。
(自分もそのひとりであった)
しかし、いざ文章を書こうとすると、何から手をつけたら良いか分からない。
本書は、そういう人たちのために作られたような本である。
自分もアウトプット大全を読んだ時も「なるほど」と舌を巻いたものだが、その本とかなり相性の良い本だと思った。
(アウトプット大全も、どこかで記事にしてみたい,,,)

読んだ本

・タイトル:読みたいことを、書けばいい。
・著者:田中泰延
・読みやすさ:9.5/10点

ざっくり内容

タイトルに既に答えが出てはいるのだが...
本書は、「もしも文章を書く場合は、他でもない『自分』のために書いたらよろしい」という本である。
(こんなこと、例えばブログのような媒体で書いてしまうと本末転倒だと言われるのかも知れない。)

どんな媒体でも構わないのだが、恐らくライターは誰かしら読み手を想定して書いているだろう。
確かに、読み手を想定して、かつそれを一貫して文章を書ききるのは大切なことである。
しかしそのマインドのままだと、実はいざライティングを始めようとするとハードルが上がってしまう。(これも経験がある人はいるのではないだろうか)
その結果、自分が考えていることがねじ曲がってしまったり、ほぼ引用になってしまったりする。
読み手を意識し過ぎることで、書く時に無意識に枷が生まれてきてしまうのだ。

「それならいっそ思い切って、読み手を自分自身に向けてしまったらどうだろうか?」
というのが筆者の主張だ。
というか、そもそも自分で文章を書いたとしたら、一番最初に文章に目を通すのは自分である。
他人を喜ばせたり、感動させたいのに、そもそも一番手の検閲者を喜ばせられなくてどうするのか?
そんな主張をちりばめつつ、今まで「文章術」と銘打ってきた本のハウツーを割と覆してしまうような内容となっている。

これだけ聞くと、全てをぶっ壊すような型破りの内容に思える。
しかし、実際は「書くことってそんなに難しいことじゃないよ」とライティングのハードルを大いに下げてくれる素晴らしい本だ。
ちなみに著者のギャグセンは独特である。

感想云々

自分が文章を書いたりSNSで発信しようとする時、枷になり得るものが大きく2つあると感じている。

ひとつは、「読み手」の問題である。
(これは本書でも大きなテーマとして取り上げられている内容である。)
こういうブログのような、読み手はいるがどんな人かは不透明、という状態ならまだいいのかも知れない。
しかし、そのプラットフォームがTwitterやFacebookに変わったらどうだろう。
そこには友人や同級生など、お互いよく知っている人もいるだろう。
そういうプラットフォーム上だと、自分の考えよりも「自分の知っている相手はどう思っているのだろうか」とか「自分のイメージが崩れないだろうか」という考えが先に頭をよぎる。
そんな時、本心をそのまま表現できるかは正直難しいだろう。
そのため、本書で語られていたように「あなたが書いた文章は誰も見ていない」というメッセージはこころを軽くしてくれるかも知れない。
しかし、本書でも大いに共感したことだが、文章を書く時に絶対失っていけないのが「敬意」である。
基本的に文章にしたり、何かを投稿したいと思える内容は、面白いことや凄いと感動したことだろう。
しかしその逆で、「つまらない/わからない」というのも確かに感動のひとつである。
そんな時、「どうせ誰も見ていないから」というマインドで、けなしたり、貶めることに情熱を注ぐのは誤りである。
ネガティブな感情が混ざることがあってもいいが、それをもし文章にするならば、なぜそう思ったかを淡々と書きさえすれば良いのだ。
(というか、それならば自分の内に秘めるだけでよく、わざわざ発信しなくて良さそうである。)
別に文章に限ったことではないが、基本的に本心を表現するのは自由。だけど敬意は忘れない。結局はそのバランスになってしまうのだろうと思う。

もうひとつは、「テンプレ」の問題である。
(これは自分が会社で働くようになってから強く実感することかも知れない。)
今日では「パワーポイントエンジニアリング」という言葉がある。
これは、エンジニアが現場で実際の開発を行う時間よりも、机でPCに向かって報告資料を作る時間の方が長いことを皮肉った言い方である。
そんなエンジニアが時間を費やすパワーポイントをはじめとして、我々は知らぬ間にビジネス以外でもテンプレートに支配されつつある。
テンプレを作るのは、(当然だが)承認者なり決裁者がわかりやすいようにしているものである。
そういうフレームワークは、確かに自分の思考を整理するための助けになる可能性は大いにあるだろう。
しかし自分の中ではライティングにおいて、物事を考えていてパッと出てきた何気ないアイデアや、どうでもいい雑感といった、そういう寄り道的な思考にも価値があると考えている。
テンプレの存在によって、それらの多くはどんな文章にも載ることなく、弾かれることになってしまうだろう。
ガチガチ過ぎるテンプレの存在は、そのルールに則ろうとするあまり、やがて思考停止を加速させてしまう。
その結果、すべての角が取れたような文章になってしまうのは非常にもったいないことなのだ。

終わりに

自分がその瞬間に考えていることや感情には、鮮度があるなと常々思う。
そんな時、どこかに書き留めて置くのは思った以上に大事なことだと考えている。
(発信するのは自由である。)
そこで文章術がどうとか、本質ではないところに惑わされて自分の考えをアウトプットできないのはもったいない。
価値があるのはうまい文章ではなくて、その人が思いついた時の瞬間風速である。
いきなり100点を目指すのではなく、60~70点でもいいから、まず自分のための自由に書いてみる。
これは本書で得た教訓であり、これからも自分に言い聞かせていくのだろう。


それでは。