Tanti Anni Prima

雑食なエンジニアの本棚

ろくにリサーチせず吉野の桜に弾丸した結果

いくら普段家にいてのんびりするのが好きでも、春に突入すると桜が見たくて外に出たくなってくる。というか、気がついたら、何故か桜を見ないと罪悪感に苛まれるような身体になってしまっている。これは自分の性格がどうこうと言うよりも、本来日本人にDNAレベルで刻まれている感覚なのかも知れない。

関西に来てから少々経つが、毎年別の場所で桜を楽しんできたつもりである。
しかし、日本人は桜が好き過ぎて、自分達で植えておきながら一生かけても回りきれない程に名所を作ってしまったのも事実。
毎年場所を変えたとしても、行っておくべき名所なんてのはいくらでもあるはずなのである。

吉野もそのひとつ。

毎年SNSにアップロードされた写真を見てみると、本当にどれも見事である。
よく、それを撮ったカメラマンの腕前が凄すぎるだけで、実は行ってみると大したこと無いやんみたいなケースもあるが、誰が撮った写真でも見事なので、恐らく間違い無い場所なのだろう。
ただ、冷静に考えてみると大阪から吉野は決して近くはない。
(始発で行っても自宅からは最低3時間程度はかかってしまう)
しかし毎年の開花情報を見て、一度行ってみたいと思い始めてしまうと夜しか眠れない。そんな思いを馳せながら開花のピークにほぼ合わせて吉野に凸撃してしまった。
なお、後になって大変なリサーチ不足であったことを後悔する。

駅~下千本

ピークの時期に行ったからか、どの開花フェーズでもそうなのかは分からないが、まだ8時半というのに電車降りた直後の吉野駅は大変な混雑である。
それはもうライブ帰りかと思える程の人の多さである。
スキマスイッチのライブしか行ったことないけど。
Suicaで通過ミスろうものなら後ろからの殺気に押し潰れされそうな程のごった返しぶりだったが、やはりそれ程人気の名所なのだと気づく。
コロナが緩和してきたのも、ひとつの理由なのかもしれない。

駅から中千本やその奥まで行くバスが出ているのだが、ガンダーラまで行列が既に出来上がってしまっていたので、諦めて徒歩でアプローチすることに。
まだ行ったことのない人に向けて先に言っておくと、吉野はとてつもない桜の名所だが、全て徒歩で楽しもうとすると登山である。しっかりガチ登山である。

駅を降りた時点で既に桜がちらほら見え始めているが、開幕戦の下千本に至る前に最初の関門がある。
それが通称:七曲り坂である。
「ナナマガリ」なんて芸人か、元素の周期表の序盤を覚えるための語呂合わせでしか聞いたことがないが、その坂を上がると初めて桜の群生が同じ目線で迎えてくれる。


近くにも桜があって囲まれている状態であるし、遠くには山肌が所々埋めつくされている景色がバランス良く見える。
既に楽しい。
楽しくて写真も撮りつつスタスタ歩いていたら、肝心の展望台すらもすっ飛ばして中千本エリアに突入してしまった。(通過後15分くらい経って気付く)

中千本へ

七曲りの関門を抜けると、中千本への道中に第二の関門がある。
フィジカルが必要な関門では無い。
そう、食べ物である。
七曲りをクリアして少々疲れた人に取っては、オアシスのようなエリアだろう。
当初は上千本を目指していても、殺人的ないい匂いのするグルメに捕まって満足してしまい、なんかもういいやとなった脱落者がどれ程いるのだろうか。
それ程エンタメに富んだ場所であった。

そのエリア内には吉水神社が存在しており、境内に入ると、かの有名な「一目千本」を楽しむことができる。
(ただし拝観料はきっちり取られる。)
数百円で楽しめるならば、と思い意気揚々と立入り、初めての千本桜を目の当たりにするが、これが実に見事_______...


「万物のインスタ映えの起源は吉野の桜である」
とアリストテレスが唱えていた気がするが、それも頷ける素晴らしさ。
まだまだ未熟な、自分の中の絶景パラメータが、ひとつ上がった瞬間であった。

上千本へ

中千本エリアを抜けるといよいよ坂が更にしんどくなってくるフェーズだが、それと同時に景色の凄みは跳ね上がってくる。
冒頭の七曲り程ではないカーブが続くが、標高が上がるたびに映え度も、シャッターチャンスも増えるのである。
「さっきの中千本で満足している俺なんだったん?」と思える程の上千本の桜の多さと景色の構図の良さ。
見渡す限りの桜、というのもいいのだが、その桜の中でちょいちょい顔をのぞかせている道路がなぜか構図としていいな、と思えるのである。
(自分だけだろうか)
1週間かけて下千本→中千本→上千本の順で開花するそうなので、今回は上千本が見頃のタイミングを引き当てたのだろう。
どの千本を楽しむかで、今後訪れる時期を決めてもいいのかも知れない。

ところで、ここのエリアでは実はロケットランチャーなんじゃないかと思える程の鈍器(カメラ)を構えるプロフェッショナル達を見かけることが増える。
よく写真を撮る時に構図で悩んだり、どの位置で撮ろうかと悩んだりで、撮影がどうも苦手...という人は少なからずいると思う。
しかし、自分はそんな心配する必要はないんじゃないかと思うのだ。
そう、プロっぽいゴツいカメラを抱えた人が撮って立ち去った後の同じ座標に行き、同じ角度で取りさえすれば、それっぽい写真に自ずとなるのである。
「お前にはプライドがないのか」と言われてしまいそうだが、お前のものは俺のもの。
これが、いくつかの名所を訪れて手に入れた貴重な(?)スキルなのだ。

奥千本??

吉野はやめ時が分からない。
上千本までたどり着いて、なお奥へと向かって行く人達を見ると、「ここまで来たら...」と見切り発車でまた無限吉野編が続いてしまうのである。
少々歩いたのち、バスで楽々ここまでたどり着いてしまった方々にジト目を送りながらマップで「奥千本」と書かれたエリア付近に到着して一発目の感想。

...奥千本てどれ?

下千本や中、上千本であったような分かりやすい景色がすぐには見つからなかった。
というか、マップ上の奥千本と書かれているところ、割と刈り取られてしまっているじゃないか。
もしかして奥千本はマップ上ではすぐに分からない秘境みたいなところなんじゃないかと考えを巡らせてみたが、しばしうろついても答えは見つからなかった。
結局、奥千本は残念ながら刈り取られてしまっていたということにし、自分に言い聞かせながら引き返すことになる。
(多分、刈り取られたなんてことはないはずなのである。)

たしか徒然草に長年の夢であった石清水八幡宮に意気揚々と参拝に行き、満足して帰って来たら実はそこは全然違う神社でした~みたいなエピソードがあった気がするのだが、自分がそうなっている気がしてならない。
初めて千本桜を見た感動と、奥千本まで頑張ったがリサーチ不足故に秘境を堪能できなかったモヤモヤを抱えて、来年また行く決意をする。

終わりに

桜はなんの変哲もない場所に一本だけ凛々しく咲いている姿を愛でるのもいいが、やはり群生で咲き乱れているところに身を投げて、360°桜に囲まれてみるのがやはり楽しい。

またあの感動が味わえるのならば、3時間の移動距離なんて恐らく苦ではないのだ。
関西圏にいる人で、やや遠い,,,と感じて二の足を踏んでいる人には、「案ずるより突っ込むが易し」という弥生時代からの慣用句を伝えたい。
きっと夥しい桜の量にビビり散らかしてしまうぜ。


それでは。