世の中で成功している人の中には、その分野において卓越した能力の持ち主であるアウトライヤーが少なからずいる。
いわゆる「天才」と呼ばれる人たちだ。
そして、その人たちは通常
「生まれつき才能がある『天才』であったから成功した。」
と思われがちである。
しかし、本当にそうなのだろうか?
著者のMalcolm Gladwell氏は、そんな人たちの成功要因に疑問を持った。
「成功するきっかけは何なのか」「成功するためには何をしたらよいのか」
本書はそんな思いを持つ人たちのために、成功するためのヒントをくれるかも知れない。
木よりも森を見ること
先に言ってしまうと、成功は社会やシステムによる要因が最も強い、というのが筆者の主張である。
本書では世の中で成功した代表的な人たちが語られており、実業家、ロックスター、プログラマーなど、みな並外れた非凡な人たちだ。
筆者はその経歴を追っていくと共に、「成功」を理解してきた方法には誤りがあることに気づく。
通常、自分たちが成功者について知りたがるのは、成功者の「人間性」である。
パーソナリティ、知性、ライフスタイル等々、個人的な特性によって成功者はトップに登りつめたと考えてしまう。
しかし著者が経歴を見てみると、実は最初から天才である人などいなかったのだ。
何もないところから身を起こした人はいないし、誰でも出身と支援者から恩恵を受けていたことが分かったのである。
その結果、著者は「努力と個人的資質がすべてを決める」という考え方から離れる必要性が出てくる、と考えた。
「木を見て森を見ず」になってはいけないと主張しているのである。
森で一番背が高い木が一番高い理由は、強いどんぐりから育っただけではない。
周りの木に日差しを遮られず、肥沃な土壌に恵まれ、伐採人に切り倒されなかったからだ。
本書の前半では、成功の要因が環境に強く由来するということが分かるだろう。
一万時間の法則とは?
「一万時間の法則」というワードを聞いたことがある人は多いのではないのだろうか?
一万時間とは、ざっくり言ってしまうと「一人前になるために必要な時間」のことである。
これはどんな分野においても共通するマジックナンバーとして、専門家の中で一致している意見だ。
それを裏づけるデータのひとつとして、心理学者のK・アンダース・エリクソンはこんな調査を行っている。
ベルリンの音楽アカデミーで学ぶバイオリニストの実力と練習時間の相関を見るため、生徒を次のような3グループに分け、銘々の練習時間を調べた。
①世界的なソリストになれる可能性を持つグループ
②単に「優れた」という評価に留まるグループ
③プロになれそうもなく、学校の音楽教師を目指すグループ
それぞれの練習時間については、結果を見ずともなんとなく察しがつくのではないだろうか。
他の2グループが4,000、8,000時間であったのに対し、①のグループはみな練習時間が10,000時間を超えていたのだ。
その中には、皆が黙々と練習に励む中で楽々とトップの座についている人もいないし、誰よりも練習するがトップランクに入る力が無い人もいなかった。
単純な調査に見えるが、他の分野でも似たような結果が大量に報告されている。
これらの調査結果が積み重なってできたものが「一万時間の法則」なのだ。
しかし、ここで注目したいのは、この結果から導かれる最も重要な主張は
「成功する要因は、一万時間という最低限の閾値を超えること」
ではない。
大事なのは
「そもそも練習に費やすための『一万時間』を確保できる環境を有していた」
ということだ。
練習の積み重ねを継続するには、それを可能にする場所や、支援者の財力がどうしても必要になる。
一万時間の法則に関するこれらの調査結果は、成功のためには社会、環境、システムを含めた「好機」に恵まれることの重要性を裏づけるだろう。
感想云々
本書を読んで一万時間の法則を認識した時、かつて視聴した竹の成長の話を思い出した。(下記にGariben TV様のリンクを貼らせて頂きます)
『竹は最初の4年間は根を張ることに費やし、5年目に初めて地上に顔を出す。
一見なんの変化もないように思えるが、地下では成長を止めていない。
それと同様に、何かを成し遂げようとして下積みを続けていけば、ある日突然芽を出すことがある。
ここで大事なのは、芽を出すには過程を必ず通らなければいけないということ。
しかし、我々は4年間の準備なしに5年目の結果を望んでしまい、突如諦めてしまう。
そんな何も成果が出ない時でも、竹のように成長のプロセスを信じて努力しなさい』
という内容だ。
自分は(自分だけでなく周りにもいたが)仕事を続けて中々実を結ばなかったり、新しい挑戦で壁にぶつかったりする時、「才能」という言葉はしばしば弊害になる、と考えることがある。
上手く行かない時や行き詰った時、「才能がないから」と言って諦める、体のいい言い訳になるからだ。
しかし自分はここで、話のすり替わりが生じてしまっていると思っている。
その人が本当に欲しいのは才能なんかじゃなくて、成果のはずだからだ。
確かに、「生まれつきの才能は存在するのか?」という問いかけに対しては、どうしても「Yesである」と答えるしかない。
しかし本書では、影響が強いのは生まれ持った個人的資質ではなく、(一万時間を費やせるだけの)好機に恵まれることである、と述べられていた。
だったら、やるべきことは才能の無さを嘆くことじゃなくて、時間を工面する工夫を考えることである。
強い言い方になってしまうかも知れないが、もし「有能」「無能」という言葉が存在するならば、それは成果の有無ではなくて、シンプルに行動するか、しないか、という違いであると思っている。
もちろん一万時間というのは、年齢が上がっていくほど確保が難しくなる、途方もない時間だ。
しかし才能の壁を感じて行き先が不透明であることに比べれば、「自分が将来大成するための幸せの種蒔き」という捉え方として、一万時間の法則は自身を後押ししてくれるモチベーションとなってくれるだろう。
終わりに
エンジニアのキャリアを始めて数年経つが、まだまだ一人前にはほど遠いと感じる今日この頃。
ある程度会社のことも分かってきてスキルもついてきた反面、どうしても壁にぶつかることが増えたり、キャリアについて考える機会が増えた。
そうした急激に大きくなりつつある負荷に押しつぶされないためにも、本書の考え方は同じ境遇の人々に浸透して欲しいと思う。
それでは。